| Concert Report | |
Lastup. 99/06/20![]() Brass Message '99 ... 1st Stage
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激動の中を生き抜いた二人の芸術家と
名曲「展覧会の絵」に秘められた
知られざるエピソード・・・!
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第一曲 グノームグノームとはロシアの伝説に登場する“愛きょうある妖怪”の事です。地の底に住み、奇妙な歩き方をすると言われています。今でもロシアの子供たちは、このお伽話を聞いて育ちます。ムソルグスキーが足を運び、展覧会の絵を作曲するの切欠となった「ハルトマンの遺作展(1874年ペテルブルグ市のロシア美術アカデミーにて開催)」を主宰した当時を代表する美術評論家「ウラジミール・スターソフ」は遺作展の目録に「その絵は、グノームが ついたての後から覗いていた」っと解説しています。
第二曲 古 城ハルトマンの遺作展を主宰した美術評論家「ウラジミールスターソフ」スターソフの目録によると「古館〜その前で吟遊詩人が歌っている」っと記されています。ハルトマンが書いた古い館の絵は、現在ロシア国内に数枚残されていますが、館の前に人影が描かれた絵は今回発見されたこの一枚だけです。絵はロシア民族をテーマにしたオペラ「ルスランとリュドミーラ」のためのデッサンで、現在サンクトペテルブルグ近郊のプーシキン民族博物館に所蔵されています。 ※ロシアの民衆を愛したムソルグスキーは、組曲の冒頭を飾るこの2曲に、ロシア民話を題材にした絵をモチーフに選びました。10曲からなる組曲を「ロシア民族の音」から始めたかったのです。
第三曲 チュイルリーの庭ハルトマンは建築の勉強のため 約2年間フランス・パリに留学しています。展覧会の絵のモチーフになった10枚の絵の中で「チュイルリィー」と第七曲「リモージュの市場」の2枚はフランス滞在中に描いたものだと言われています。美術評論家のスターソフは遺作展の目録に「二人の子供が楽しそうに会話している」っと解説しています。 当時のロシアは帝政末期動乱の中!すでに市民革命を終え民主主義を勝ち得ていた国=フランスは、ムソルグスキーにとって実に新鮮で活力溢れるものに見えたのかもしれません、音楽的にも第三曲第七曲は、他の八曲と比べ異色で明るく穏やかで生活感に満ちた曲風に仕上がっています。
第四曲 ヴィドロポーランドの反乱(1860年ポーランドにて〜現在モスクワアプランツェボ美術館所蔵)ロシア帝国の圧政に蜂起したポーランド民衆をロシア兵が虐殺する様子を、怒りと共に描いたデッサンです。 当時ロシア帝国に反旗を翻したポーランド人に対する共感は、当時の知識人の中ではダブーとされていました。後にムソルグスキーは友人にあてた手紙の中で「ヴィドロ=いまは牛車と言う事にしておこう」っと、実に謎めいた一筆を残しています。ポーランド語でヴィドロとは=牛車と言うの意味の他に「家畜のように虐げられる民」と言う意味もあったのです。この曲中で延々と続く八分音符は、ショパンの葬送行進曲のそのものです。絵の発見が曲の解釈をも変えた〜実に興味深い曲です。[詳解説]
第五曲 卵の殻をつけた雛鳥の踊り当時の芸術家を描いた風刺画の中にこう記されています、ムソルグスキー=過激で妥協を知らない天才肌の芸術家。ハルトマン=威勢が良く何時も動き廻っている悪戯好きでユーモア溢れる建築家の卵・・・っと、 遺作展でこの絵(バレエ衣装のためのデッサン=抜けきれない卵殻をまとった雛鳥に扮する衣装)を見たムソルグスキーは、唯一の親友〜元気なハルトマンの姿をダブらせたのかもしれません。 この絵は、以前からロシア美術アカデミーに保管されていた、展覧会の絵のモチーフとなった絵っと言うことにされた数少ないハルトマンのデッサンです)
第六曲 サミュエル・ゴールデンベルグとシュミュレ富豪と貧民とも取れるこの曲は、二人のユダヤ人の肖像画です。当時のロシア帝国政府は、革命前夜の不安の原因をユダヤ人の性に仕立てようと徹底的な弾圧を始めていました。 力強い冒頭のテーマ(サミュエル・ゴールデンベルグ)は弾圧前の毅然としたユダヤ商人の態度を、Piccolo-Trumpetが奏でる悲しげな旋律(シュミレ)は、暗い時代の中で打ちひしがれ没落したユダヤ人の姿を、そして後半二つの旋律が重なり合ったとき、力強い第一主題が止めどなく沸き上がる怒りに、第二主題が行き場もなく逃げまどう宿命的なユダヤ人の悲しみに変わっていきます。
第七曲 リモージュの市場にてフランスのリモージュ地方にある小都市の市場で描いた14枚のデッサン画がこの曲のモチーフとなった絵です。組曲「展覧会の絵」の中で〜この第七曲「リモージュの市場」と第三曲「チュイルリー」の2曲は明るく快活なイメージ=他の8曲とは異なった曲想をもっています。ロシア国外への渡航経験がないムソルグスキーは、ハルトマンが留学中に描いたこれらの絵を目にし、当時民主革命を終えていた〜明るく!そして元気な芸術家達の都フランスへの憧れの念を感じていたのかもしれません。
第八曲 カタコンブ地下墓地にハルトマン自身の後ろ姿を描いたこの絵は、ロシア美術アカデミーに保管されており、以前から「展覧会の絵のモチーフとなった絵」っと言う事にされていたハルトマンの数少ない水彩画です。 嘆き〜悲しみ 悔やみや昔年の想い とても言葉にする事が出来ない〜ひたすらこみ上げてくる想いを金管の力強い音 にぶつけ、死者の言葉でハルトマンへ語りかけています。ムソルグスキーは、自らこの曲を親友ハルトマンへ捧げる鎮魂歌(死者の魂への語りかけ)としています。音楽的にも、多用されるフェルマータ 起伏の激しいアゴーギグ 極端な強弱等など 演奏する人により様々に変化するこの曲は、難しくも実に感性豊かな曲に仕上がっています。
第九曲 バーバ・ヤーガの小屋ロシアの古い伝説に登場する魔女バーバ・ヤーガ!不気味な和音、激しいテンポが、そのおどろおどろしさを示唆しています。魔女バーバヤーガの住むとされている〜不気味な小屋を「置時計」にデザインしたモノです。 曲は、速い(主題提示部) 遅い(展開部)速い(主題再現部)っと言う、この組曲の中では珍しく完全な三部形式で作られていて、また 次の終曲「キエフの門」とセットで 演奏することを念頭に置いた作品です。
第十曲 キエフの門ハルトマンは〜建築家として有名な建造物を造ったりすることは殆どありませんでした。が、空想する事や想像する事にかけての彼の才能は、誰もが賞賛するっと言う極めて異色(異端)な芸術家だったそうです。 右手に配した鐘楼は=曲中に現れるロシア聖教の讃美歌に・・・ この絵は、ロシア民族をこよなく愛し、民衆の中に芸術の原点を見いだそうとした 「ヴィクトール・ハルトマン」と「モデスト・ムソルグスキー」の友情の証だと考えます。
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